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連続講座「現代アートハウス入門 ネオクラシックめぐる七夜」

REPORTS
2021年4月26日

渡辺祐一(配給会社東風/「現代アートハウス入門」キュレーター)

苦い奇貨

日本のアートハウスは、ミニシアターという呼称で親しまれてきました。世界の埋れた映画を発掘し、上映する「エキプ・ド・シネマ運動」をはじめた1974年の岩波ホールをその嚆矢をとするなら、日本のアートハウスには、かれこれ50年近い歴史があります。全盛期は「ミニシアター・ブーム」といわれた1980から90年代。20世紀末の東京で、当時18歳だったぼくは、『アメリカの影』や『ミツバチのささやき』や『動くな、死ね、甦れ!』といった、作られた時代も地域も異なる映画を次からつぎへとスクリーンで観てまわることができました。いまこうして映画の仕事をしていると、そのことのありがたさをよりいっそう、ひしひしと感じます。アートハウスは、古今東西の映画と観客とが出会う場所であり、多様な映画体験によって未来の映画作家や上映者、研究者たちを育む文化的ビオトープとしての役割を担っています。

しかし、近年はメインの観客層が高齢化していたことも相まって、COVID-19の影響は甚大でした。大幅な収益減を余儀なくされた多くの劇場、配給、製作者はいまも不安を抱えています。いっぽうで、「Save our local cinemas」「SAVE the CINEMA」「ミニシアター・エイド基金」「仮設の映画館」といったさまざまな取り組みが連日メディアで取り上げられ、アートハウスにこれまでにない社会的関心が集まりました。これを“苦い奇貨”として、アートハウスの今日的な意義を若い人たちを中心とした新たな観客と共有すべく、文化庁委託事業「文化芸術収益力強化事業」として企画したのが、連続講座「現代アートハウス入門 ネオクラシックめぐる七夜」です。

「しくみ」のお話

この連続講座では、日本のアートハウスの歴史を彩ってきた――おもに1980から90年代にはじめて日本で上映された7作品を全国18の劇場で、ほぼ同時刻に上映しました。そして、2000年以降にデビューした現代映画の作り手たちを講師に迎え、各上映作品の魅力や自作への影響などをお話してもらいました。また、その模様を参加劇場のスクリーンで共有し、全国の観客のみなさんとのQ&Aを交えながら、アートハウスの役割や可能性についての知見を交換しました。

「みんなで同じ映画を観て、アートハウスについて語り合う」ということを18の映画館をつないで体験することは、この連続講座の眼目の一つでした。それを可能にしたのは、さまざまなオンラインツールやフィルムと比べて圧倒的に複製と輸送コストの低いデジタルフォーマットの普及という工学的イノベーションもさることながら、「二度目の緊急事態宣言」という混乱のさなかに複雑なタイムテーブルをねばり強く調整してくださった参加劇場のご尽力でした。

また、全国の観客のみなさんとのQ&Aは、スクリーンに投影したQRコードからGoogleフォームにアクセスしてもらって…という方法で行いました。これは、2020年の東京フィルメックスの会場でCOVID-19対策として採用されていた方法を応用したものです。トークやレクチャーのあいだに飛び込んでくる質問や感想は、プログラムへの生き生きとしたフィードバックとして、7日間の進行にとてもポジティブな刺激を与えてくれました。

それから、一人でも多くの若い人たちをアートハウスへ誘うための具体的な施策の一つとして、参加料金を「30歳以下=1200円/31歳以上1800円(税込)」に設定してみました。東京のユーロスペースでは「30歳以下を対象とした特別先行予約」を実施したところ、週末にあたった「第1夜」「第2夜」のほぼ全席が30歳以下の観客で占められることになりました。これには「少々やりすぎた」という反省もなくはないのですが、日を追うごとに「常連」になっていく若い人たちの姿を目にすることは、ぼくらスタッフの大きなよろこびでした。

さて、以上がおおまかな「しくみ」のお話です。

具体的なプログラムの「なかみ」については、ぜひ公式WEBサイトに掲載したデイリーレポートをお読みいただきたいのですが、講座名に配した「アートハウス 」と「ネオクラシック」を二つの鍵語として、もう少しだけ、ぼくなりのイントロダクションを続けてみます。

なぜ「ミニシアター入門」ではなく、「アートハウス入門」なのか?

アートハウスとは、1950年代にアメリカの大学街やニューヨークなどの大都市で生まれた、非ハリウッド映画や芸術映画、ヨーロッパで作られた映画(アメリカにとっての外国映画)などを上映する映画館のことです。(NYのアートハウスの現状にご興味のある方は、増渕愛子さんによるレポート「ニューヨークのアートハウスの現在」をぜひお読みください。)  

ミニシアターという呼称が人口に膾炙した日本に、いまあえてアートハウスの一語を差し出してみたのは、そうすることで誘発される思考や議論があると考えたからです。

たとえば、それは「第4夜」に深田晃司監督によってなされた次のような発言です。

なぜ「ミニシアター」ではなく、あえて今「アートハウス」という言葉を打ち出すことが重要なのか? ミニシアターという愛称自体は自分も慣れ親しんでいますし、可愛らしくていいなと思うのですが、一方で、それではシネコンとの違いがサイズの違いであるかのような誤解を招いてしまいます。でも、重要なのはサイズではなく役割の違いですよね。フランスのシネコンではアート系の映画もかけますが、日本ではそうも行かないので、とりわけアートハウスの存在が重要なんです。だから今回、アートハウスという言葉をイメージとして打ち出すというのは、すごく意義のあることだなと感じています。

「第7夜」には、想田和弘監督から次のような発言がありました。

今回の企画で「ミニシアター」でなく、「アートハウス」という表現をしていることに、僕は大賛成です。重要なのは規模の大小ではなくて、どんな映画をかけるか。一番の違いは、アートとしての映画、芸術性ですよね。そういうアティチュードを示しているのが「アートハウス」という言葉です。だから、これからも映画をただ商品として世に送りだすのではなく、「面白い! いっしょに盛り上げていこう!」という人たちとやっていきたいですよね。

つまり、アートハウスという言葉を使うことによって、いま日本でミニシアターと呼ばれている映画館が果たしている役割をより明確にすることができる。そして、そのような役割を担う映画館をこそ必要としている映画作家がいる、ということです。この「映画作家」の部分を、「観客」や「配給会社」に置き換えることもできるはずです。

以上のような認識を広く共有することによってはじめて可能になることがあります。その一つが、アートハウスに対する助成や支援のありかたをめぐる議論です。

「第3夜」の小田香監督による提言をご紹介します。

ミニシアターのプログラムミングを続けていくには、継続的な助成金や大きなシステムからの支援が必要なのではと思います。みんなで文化の幹を太くし、でも文化という言葉におさまりきれない野蛮なものも包容しつつ、政府や利益のある企業も含めて懐の深いことができるように、みんなで活動していかなければならないのかなと。「SAVE THE CINEMA」などの大きな働きかけに個人としても連帯できればなと思います。

この短い、とても注意深く選ばれたであろう言葉の連なりに、いくつもの大切なことが詰まっているとぼくは思います。

まず、継続的な助成や支援がなければ、アートハウスならではのプログラムを維持することは、いずれ難しくなるだろうというクールな現状認識があります。そして、アートハウスへの助成や支援は「野蛮なものも包容」できるものでなければならない。だから、「政府」や「利益のある企業」が「懐の深いこと」ができるように「みんな」で活動しなければならない。そのための「大きな働きかけに個人としても連帯」したいと小田香監督はいいます。

野蛮なものも包容できるような、真にパブリックな助成や支援のシステムは、それに先立って身銭を切る個人たちの連帯によって立ち上げられる。

これは、いくつもの具体的な経験によってかたちづくられる、きわめてリアリスティックな認識だろうと思います。であるがゆえに、この認識を共有できる人間の数というのは、インスタントに増やしたり、都合よく動員することができない。こつこつ仲間を見つけてやっていくほかありません。

はじめに、日本におけるアートハウスのはじまりとして、岩波ホールの「エキプ・ド・シネマ運動」をあげました。エキプ・ド・シネマとは、フランス語で「映画の仲間」という意味です。

「ネオクラシック」という物見窓

ためしにインターネットで「映画」「ネオクラシック」と検索してみてください。おそらく、この連続講座に関する記事ばかりがヒットするはずです。それもそのはず。映画史の時代区分としてのネオクラシック(新しい古典)というのは、決してオーソライズされた概念ではありません。このワーディングは、「現代アートハウス入門」のもう一人のキュレーターである村田悦子さんと「7日間のプログラムをいい感じでラッピングできるよい副題はないものか?」と、おしゃべりしているうちに、ふっと思いついたアイディアです。

ですから、ネオクラシックという言葉を講座名に配したことは、アートハウスの場合のそれとおなじく、一つの賭けであり、呼び掛けでした。ネオクラシックという、ちょっといかがわしい物見窓を仮設することで、見渡すことができるようになる地平、あるいは稜線があるのではないか、と。

これにあざやかな応答をしてくださったのは「第1夜」の講師の一人、映画研究者の三浦哲哉さんでした。『ミツバチのささやき』の上映を終えたアートハウスで開口一番、ビクトル・エリセ監督の言を引きながら示されたそのパースペクティブは、七日間の連続講座にとって最良のイントロダクションになりました。

はたして、それはどのようなものか?

ここからはぜひ、デイリーレポートをお読みください。

ようこそ、アートハウスへ。

連続講座「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜」

『チチカット・フォーリーズ』

『ミツバチのささやき』

『山の焚火』

「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜」予告篇

https://youtu.be/7B7U8TBIVyA

第1夜 1月30日(土)
『ミツバチのささやき』
監督:ビクトル・エリセ|1973年(1985年日本初公開)|スペイン
講師:濱口竜介(映画監督)、三宅唱(映画監督)、三浦哲哉(映画研究者)

第1夜 デイリーレポート

▼取材記事:“映画館で観る”ということの意味──濱口竜介&三宅唱が語る<ミニシアターの未来>(クイック・ジャパン ウェブ 文=原航平 編集=森田真規)

第2夜 1月31日(日)
 『動くな、死ね、甦れ!』

監督:ヴィターリー・カネフスキー|1989年(1995年日本初公開)|ソ連
講師:山下敦弘(映画監督)、夏帆(女優)

第2夜 デイリーレポート

第3夜 2月1日(月)
『トラス・オス・モンテス』

監督:アントニオ・レイス、マルガリーダ・コルデイロ|1976年(2010年日本初公開)|ポルトガル
講師:小田香(映画作家)、柳原孝敦(翻訳家)

第3夜 デイリーレポート

第4夜 2月2日(火)
『緑の光線』
監督:エリック・ロメール|1986年(1987年日本初公開)|フランス
講師:深田晃司(映画監督)

▼第4夜 デイリーレポート

第5夜 2月3日(水)
『山の焚火』
監督:フレディ・M・ムーラー|1985年(1986年日本初公開)|スイス
講師:横浜聡子(映画監督)、カラテカ矢部太郎(芸人・漫画家)

第5夜 デイリーレポート

第6夜 2月4日(木)
『阿賀に生きる』
監督:佐藤真|1992年(1992年日本初公開)|日本
講師:小森はるか(映像作家)、清田麻衣子(里山社代表)

第6夜 デイリーレポート

第7夜 2月5日(金)
『チチカット・フォーリーズ』
監督:フレデリック・ワイズマン|1967年(1998年日本初公開)|アメリカ
講師:想田和弘(映画作家)

第7夜 デイリーレポート

*「緊急事態宣言」の発令をうけ、名古屋シネマテークでは、予定を1週間遅らせての開催となりました。