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連続講座「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜 Vol.2」(4)

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2022年5月31日

2021年12月11日~17日、全国24のアートハウス(ミニシアター)で同時開催された連続講座「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜 Vol.2」。

監督や脚本家、製作者、編集者等、多彩な講師陣による7日間のトークの記録を連載します。

連続講座「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜 Vol.4」

第4夜 2021年12月14日(火)

連続講座「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜 Vol.2」第4夜は、ダイレクト・シネマのパイオニア、メイズルス兄弟の『セールスマン』を上映。

講師は、映画作家の想田和弘さん。「被写体や題材に関するリサーチは行わない」「​​ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない」といった独自のルールに基づく「観察映画」を数多く手掛けてきた想田さん。観察映画の源流であると言うダイレクト・シネマについて深く掘り下げていただきました。

聖書だから面白い

想田 本作はメイズルス兄弟が初めて撮った劇場用の映画で、ドキュメンタリー史における名作の一本と言われています。兄のアルバート・メイズルスと、弟のデヴィッド・メイズルスは5歳違いの兄弟で、ボストンのユダヤ系移民の家庭に生まれました。本作は、デヴィッドが訪問販売員についての映画を撮れないかと考えて、いろんな訪問販売員のリサーチをするなかで、聖書を売る訪問販売会社があると聞いて「これだ!」と思ったところから制作されたそうです。

これが結構カギで、聖書だから面白いんですよね。これが車の訪問販売だったら、ここまでのアイロニーは出てこないと思います。聖書はキリスト教の聖典ですから、キリスト教の価値観や倫理観に則って販売するのかと思いきや、売るためにはそこから外れるようなこともしなければいけない。聖典といえども商品になってしまう。そういう資本主義の矛盾というか残酷さが、セールスマンたちに密着するだけであぶりだされてしまうわけです。

本作は1960年代末のアメリカの話ですが、今の日本で観ても全然古くないですよね。観てるだけで彼らの悲哀、葛藤、苦しみが迫ってきます。しかもそれを見せる過程で、当時のアメリカ社会も垣間見えてくる。異教徒同士の婚姻、移民社会など、アメリカも刻々と変化しているわけです。一番情けない感じの販売員、ポール・ブレナンもアイルランド系の移民で、訪問する家の多くも移民の家庭です。聖書が50ドルとありましたが、いまの物価ですと350ドルぐらいなので、日本円では4万円ぐらいです。それが売れるかどうか。ただ観察しているだけなのに、当時のアメリカの生活や経済や社会の状況があぶり出されてくる仕組みがビルトインされている。これがまさにダイレクト・シネマです。僕は自分の映画を観察映画と呼んでいますが、観察映画の源流はダイレクト・シネマにあります。だから、本作は僕にとってお手本のような映画です。

直接的に世界を描き、直接的に世界を提示するダイレクト・シネマ

想田 今回、講座を企画している東風さんから何を上映したいですかと聞かれて、すぐに『セールスマン』が思い浮かびました。それで調べてもらったら、いままで日本で一度も上映されたことがなくて、日本語字幕もないと。結構びっくりしました。だって、欧米のドキュメンタリー史では欠かせない作品ですから。日本で語られるドキュメンタリー史には、大きな穴があったわけです。まあ、アメリカとかでも小川紳介や土本典昭の作品はほとんど紹介されてませんから、お互い様なんですけど。

東風と(本講座に協力している)ノームがすごいのは、わざわざアメリカから『セールスマン』のブルーレイを取り寄せて観て惚れ込み、「ぜひ上映しましょう」という決断をされたことです。で、ノームさんが権利元と交渉して、権利を買うことに成功しました。これにはびっくりしましたし、感激しました。しかも、これは実に不思議な偶然ですが、グッチーズ・フリースクールという上映団体が、奇しくも同じ時期にメイズルス兄弟特集を下高井戸シネマで企画していて、すでに日本語字幕を作っていた。そして字幕がついた素材を提供してくださったという素晴らしいバックストーリーがあります。つくられてから50年以上、日本で一度も上映されていなかった映画なのに、2021年12月になって突然、2つの団体が同時に日本で上映しようとしていたわけで、その顛末には本当に驚きました。

それにしても、ドキュメンタリーにとっていかに国境の壁が厚いかということですね。それぞれの地域で映画の伝統が熟成しているけど、それがなかなか外に出ていかない。今回その壁を破って『セールスマン』を上映できて感無量です。

メイズルス兄弟はダイレクト・シネマのパイオニアだと言われますが、じゃあダイレクト・シネマとはなんなのか。デヴィッドはインタビューで、ダイレクト・シネマとは、自分たち作り手と被写体の間に何もなく直接的である。つまり、こういうことをやってとお願いしないで、被写体がやっていることをそのまま撮らせてもらう。また、作り手と観客との間に、ナレーションもBGMも説明のテロップもない。直接的に世界を描き、直接的に世界を提示するのが、ダイレクト・シネマなんだと言っています。

1960年代にアメリカ、カナダを中心に勃興したダイレクト・シネマですが、背景には大きな技術革新がありました。映像と音声がシンクロする同時録音がスタジオ以外の環境でも可能になったことで、映画作家たちが街に飛び出して直接的に世界を描けるようになったんです。

アメリカでは、映画監督のロバート・ドリュー率いるドリュー・アソシエイツという合同会社ができます。そこにアルバート・メイズルスやリチャード・リーコック、D・A・ペネベイカーといった、その後名だたる映画監督になっていく人たちが加わって、1960年に最初のダイレクト・シネマと言われる『大統領予備選挙』(原題『Primary』)を撮ります。ジョン・F・ケネディとヒューバート・H・ハンフリーが、民主党の大統領予備選挙を闘う様子を撮ったものですが、ほとんどナレーションが入っていません。選挙のキャンペーンを見せるだけ。僕の『選挙』という映画と同じです。というか僕が真似しているわけですけど(笑)。当時アメリカの民放のテレビで放送されて、すごいセンセーションを巻き起こしました。

その後、アルバートとデヴィッドは自分たちで映画をつくりはじめます。アルバートがカメラを、デヴィッドが録音を担当します。ダイレクト・シネマの非常に重要な手法のひとつが、あらかじめいろいろ準備をしないこと。本作も、基本的に被写体が行く先についていくだけです。カメラを回しながら訪問先に行くと家人が出てきて、最初はセールスマンと話しているけど、そのうちカメラを回している自分たちの存在にも気づく。「あなたたちは誰?」と聞かれたら自己紹介をして、「映画をつくっているので撮らせてもらっていいですか」とその場で交渉して、許可が出たら家の中に入って撮らせてもらうというプロセスを経て撮影しているそうです。あらかじめアポを取ったりしないんですよね。もうひとつ重要なのが、解説をしないことです。それまでのドキュメンタリーは、解説口調のナレーションが入るか、リポーターがいて数字が出てきて、情報を伝えるジャーナリズムに近かった。だけど、ダイレクト・シネマは観客に情報を伝えるのではなく、あたかもそこで目撃しているかのような体験を届けることを目指していて、当時としては非常に斬新だったわけです。

質疑応答

──最後のテロップが出るまでフィクションだと思っていました。完全にドキュメンタリーで、演技ではないですよね。

…ユーロスペース、フォーラム山形より

──あたかも順撮りに見えますが、実際はどうなのでしょうか。編集期間はどのくらいですか。

…ジグシアターより

想田 フィクションと思われるのはよくわかります。ドキュメンタリー的な手法で撮ってるけど、構築、編集の仕方はフィクションの文法ですから。そこがおもしろいところですよね。編集にかけた時間はわからないですが、撮影は1967年の12月から翌年の1月にかけて1〜2ヶ月のはずです。編集でかなり構築されているはずなので、順撮りとは限らないと思います。ちょっとずつポールのフラストレーションが溜まっていく感じとか、編集がうまいですよね。監督としてクレジットされているシャーロット・ズワーリンとデヴィッドが編集を担当したそうですが、シーンとシーンをうまく組み合わせることで感情の流れをつくり、観客の無意識に働きかけ、心理的影響を与えるんですね。この心理学的な方程式がわかっていないと映画は絶対つくれないんですよ。実は、アルバートもデヴィッドも心理学を専攻しているんです。アルバートは精神科で働いていたこともあって、最初の短編映画はロシアの精神病院を撮っています。そこも僕と重なって面白いんですが。

──音声の質が明らかに違う箇所があり、アフレコの可能性を考えました。ドキュメンタリーのアフレコは倫理的に許されますか。

…京都シネマより

想田 確かにアフレコかなと思う箇所が2、3ありましたよね。倫理的に許されるかどうかと言ったら、考え方によっては「あり」だと思いますが、僕はやりません。ボーダーラインかな。これはドキュメンタリーとは何かという本質的な問題にも関わりますね。ドキュメンタリーは真実を映し出すものだという考え方からするとNGです。でも、ドキュメンタリーは現実にカメラを向けているけれども、最終的には作り物なんだという考え方からすると、必ずしもNGではないでしょう。

僕は、ドキュメンタリーは虚構と現実の間を揺れ動くものだと思っています。いくら虚心に現実を撮っていても、結局はカメラワークで切り取った断片を編集するわけだから必ず虚構性が交じる。だけど、それをフィクションだと言い切ってしまうと、ドキュメンタリーというジャンルそのものが成立しない。現実と虚構の間を揺れ動く、どっちつかずの存在だから、ドキュメンタリーは怪しくておもしろいんですね。

ただ、さっきも言ったように僕だったらこのアフレコはやらないですね。倫理的に許されないからではなく、やると映画のリアリティが壊れてしまうから。本作では切り返しのショットも多用されていますけど、現場ではカメラ1台で撮ってるわけですから、実際には「しゃべってる人」と「話を聞いている人」を同時には撮れないわけです。つまり別の瞬間に撮ったリアクションショットをインサートして、映画だけの時間をつくり込んでいるわけです。そのことに対して、同僚の映画作家たちから、あんなにカットバックするなんて、ダイレクト・シネマじゃないじゃないかという批判もあります。

──フレデリック・ワイズマンとメイズルス兄弟の作品の違いを教えてください。

…名古屋シネマテーク、シネマテークたかさき、長野ロキシーほか

想田 僕はワイズマンの影響をとても受けていて、彼を心の師匠のように思っています。もちろん、メイズルス兄弟にも影響を受けていて、どちらも大好きなんですが。両者の違いですが、メイズルス兄弟は基本フィクション映画と同じ文法で、時間を使います。これがあって、次がこうなって、こういう結末になるという時間の流れがある。一方のワイズマンは、時間ではなく場所を描きます。ワイズマンだって何週間も一箇所に密着するわけだから、時間軸でドラマを作れるはずですが、絶対にやらないです。

あと、ワイズマンは必ず組織が主人公ですね。病院、福祉事務所、ボストン市庁舎など、組織がどう動いているかに関心があって、その中にスターはいない。あえて言えば組織がスターです。『ボストン市庁舎』だけは市長がメインキャラクターっぽいのでちょっと例外ですが。対して、メイズルス兄弟は個人に焦点を当てることが多いです。本作で言うと、セールスマンたちの中でもポールが主人公と言っていいでしょう。有名人に密着することも多いですね。マーロン・ブランド、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、小澤征爾、クリスト&ジャンヌ=クロードらを撮っています。

おもしろいのは、アルバートはワイズマンが大嫌いなんですよ。『チチカット・フォーリーズ』なんか、あれはひどい映画だって悪態ついていますからね。精神病院にいる人たちが、いつもあんな状態なわけがないって。病を抱えている人にも調子の良いときと悪いときがあるのに、調子が悪いときばかりを集めていると、厳しく批判しています。

──ダイレクト・シネマと観察映画の違いを教えてください。

…各地の劇場より

想田 ほぼ同じなんですが、ダイレクト・シネマを自分なりにアレンジしたのが観察映画だというふうに申し上げています。僕は『セールスマン』などの作品を見て、こういう映画を撮りたいと思って観察映画を撮り始めたわけですが、後年、メイズルス兄弟のインタビューを読むと、自分が最近言ってることと同じじゃんとびっくりさせられます。作品に惹かれて自分のお手本にしたわけですが、実は考え方もものすごく似ているんですね。実際、アルバートと話したときに「映画にはディバージョン(diversion=気晴らし・娯楽)と、エンゲージメント(engagement=観客を引き込むもの)の2種類があるが、俺はエンゲージメントを目指す」と言われたことがあって、僕も目指すのは同じだなあと思いました。イギリスのシェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭でアルバートと一緒になったときも、「今回僕は『Peace』という映画で参加してる」と言ったら、「それは俺がやりたかったことだ。映画作家は戦争ばかり描いて平和を描かないじゃないか。平和こそ描かないといけない」って言うんです。だよね、と。

そのときに、アルバートがもうひとつ重要なことを言っていたので紹介したいんですが、映画祭のマスタークラスで、アルバートに質問したんです。「自分が撮ることによって被写体の人生をめちゃくちゃにしてしまうんじゃないかという恐怖はないですか」って。そしたら、それまでニコニコしていたアルバートがさっと顔色を変えて、言葉を選びながら言いました。「そういうときには、don’t go too far=やり過ぎない、行き過ぎないように気をつける」と。「行かない」でも「行く」でもない、「行き過ぎない」んですよ。まあ、どこからが行き過ぎなのか判断が難しいから困るわけで、結局答えにはならないんですけど、僕もどうしようかなと迷ったときに、いつもその言葉を思い出します。同じ質問をワイズマンにもしたことがあるんですが、彼は「残念ながら、私の映画は被写体の人生に影響を与えたりしない」と。そこも違いがありますね。

これからのアートハウスについて

想田 ミニシアターという呼称が定着しているのはいいんですが、僕はアートハウスという呼称のほうが本質を表していると思っています。ミニシアターは映画館の規模を表す呼称ですけど、小さいだけが特徴じゃなくて、何を上映するかが大事ですよね。アルバートが「ディバージョンではなくエンゲージメントを目指す」と言ったように、彼は娯楽性や商業的成功ではなく、ドキュメンタリーで芸術性を追求したわけです。アートハウスもそういう存在だと思うんですよ。芸術性の高い作品を上映して、みんなで観て、議論する場所だと。コロナ禍で劇場も配給会社も本当に大変ですが、なんとかサバイブすること、サバイブしないとなくなってしまうので、今日のように満席の映画館で皆さんと一緒に名作を観られたのは本当に感慨深いです。

(取材・構成=木村奈緒)

『セールスマン』

監督:アルバート・メイズルス、デヴィッド・メイズルス、シャーロット・ズワーリン

1969年|アメリカ|91分|モノクロ

ボストンからフロリダへ。聖書の訪問販売員たちの旅にカメラは密着する。彼らが訪ねるのは教会の信者で、一人暮らしの未亡人や、難民、部屋代も払えない子持ち夫婦など。安いモーテル、煙るダイナー、郊外のリビング、月賦払い…。物質主義的社会の夢と幻滅、高揚と倦怠が奇妙に交差する、アメリカの肖像画。ダイレクトシネマのパイオニア、メイズルス兄弟のマスターピースを本邦初公開。


想田和弘

映画作家

1970年生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。93年にニューヨークへ。スクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒業。NHKなどのドキュメンタリー番組を数多く手がけた後、台本やナレーション、BGMを排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。その第1弾、2007年の『選挙』は世界200ヶ国近くでTV放映され、米国でピーボディ賞受賞。ベルリン国際映画祭へ正式招待。続く『精神』『演劇1・2』『牡蠣工場』『港町』など、いずれも名だたる国際映画祭に招待され、数多くの賞を受賞。これまでにポーランド、韓国、イタリア、ベルギー、カナダ、中国、香港、台湾など世界各地でレトロスペクティブ特集上映が組まれる。最新作『精神0』は、2020年ベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞。ナント三大陸映画祭でグランプリ[金の気球賞]を受賞。

現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜 vol.2
2021年12月11日(土)-17日(金)
全国24館で実施
企画・運営:東風 企画協力・提供:ユーロスペース
協力・提供:アイ・ヴィー・シー/アンスティチュ・フランセ日本/グッチーズ・フリースクール/コミュニティシネマセンター/シネマテーク・インディアス/ノーム
文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業
https://arthouse-guide.jp/

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