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「ジョージア映画祭2022」によせて

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2022年1月7日

はらだたけひで(ジョージア映画祭主宰・画家)

わたしは1974年12月から2019年2月まで、およそ44年間、東京の岩波ホールで世界の映画を紹介する仕事に携わってきた。入社の日に突然映写技師を命じられ、それに反発し、辞表を出そうとして引き留められたことを懐かしく思い出す。電気関係が苦手だったわたしは映写機を扱う自信がなかったからだ。しかし、今にして映写を担当したことは貴重な経験だったと思う。「映画は20世紀の芸術だった」と過去形で語る方がいたが、わたしも近頃は、そうかもしれないと考える。映画は映画館の暗闇で見るものという基本的な考えは、コロナ禍のなかで急速に崩れている。プリント(フィルム)は、デジタル化が進んだ今日では見る機会さえない。わたしもご多分にもれずデジタルよりプリントの映像の方が遥かに好きだ。

岩波ホールとジョージア映画

この場では岩波ホールを定年退職後に、準備を重ねてきた「ジョージア映画祭2022」(2022年1月29日~2月25日、東京・岩波ホールにて、全国順次開催予定)について記したい。岩波ホールに在職中、わたしは56カ国、250本以上の映画の日本公開に関わったことになるが、なかでもとりわけジョージア(グルジア)の映画の紹介には積極的だった。『ピロスマニ』『落葉』『エリソ』『26人のコミッサール』『インタビュアー』『若き作曲家の旅』『青い山』『田園詩』『祈り』『希望の樹』『懺悔』『とうもろこしの島』『みかんの丘』『花咲くころ』『汽車はふたたび故郷へ』『皆さま、ごきげんよう』『葡萄畑に帰ろう』「ジョージア映画祭2018」、退職してからの『聖なる泉の少女』等、精一杯、情熱的に取り組んできた。

しかし、わたしには、仕事をやり残したという思いが拭えなかった。そしてそれを成し遂げることが、わたしの責務だと考えるようになった。それが「ジョージア映画祭2022」である。字幕翻訳のトビリシ在住の児島康宏さん、DCP素材制作の大谷和之さん、2018年の映画祭のときと同じメンバーで準備を進めている。

「ジョージア映画祭2022」では、ジョージアのソ連邦時代(1921~1991)の70年間における歴史的名作、全34本を一堂に集めて上映する。ジョージアというコーカサスの一国から20世紀の世界映画史を俯瞰するという試みである。いずれの作品も現在、本国ではスクリーンで見ることができない。また、これだけの規模の特集上映は世界的に見ても極めて稀である。しかし今や年金生活者である一個人がこの映画祭を開催できるのも、先ほど好まないと記したデジタル素材があるからこそ、なのである。

「ジョージア映画祭2022」チラシ 
※画像クリックすると岩波ホールの特集ページにリンクします

『ピロスマニ』公開の頃

1978年秋、わたしはジョージア映画『ピロスマニ』(日本海映画配給)の公開を担当した。ジョージアの孤高の画家ニコ・ピロスマニ(1862~1918)の半生を描いた作品である。岩波ホール入社前は信州あたりを転々と放浪し、独学で絵を描いていたわたしを、総支配人の故高野悦子が担当に相応しいと考えたのだろう。そしてわたしはこの映画に魅せられた。いや、魂を奪われたと表現したほうが正確である。画家の魂の純粋さ、絵を描くことへの矜持、映画の清冽な描写に強く魅せられた。当時はソ連邦の一共和国だったジョージアから来日したギオルギ・シェンゲラヤ監督は、ピロスマニに関心を深めるわたしに「ピロスマニを知るにはジョージアを知らなければならない」と語った。ピロスマニに限らず、この国の芸術の背景には、ジョージアという国の風土、民族、歴史や文化などのすべてが存在するという。この言葉から一本の映画には民族や作り手の熱い思いが込められていると知り、映画を公開するという仕事の責任の重さを痛感した。そして作り手たちの期待に応えたいとつよく思うようになった。わたしが24歳のときだった。

(左)1978年に来日したシェンゲラヤ監督

(右)1978年公開時のポスター(小笠原正勝氏デザイン)

シェンゲラヤ監督の言葉に応えるように、わたしは3年後の1981年6月、ソ連邦時代のジョージアをモスクワ経由で訪れた。当時は東西冷戦のさなかである。コーカサスの山々を越えての個人旅行は極めて少なかった。当時、岩波ホールは『ピロスマニ』の後、『家族の肖像』(1974/ルキーノ・ヴィスコンティ)『木靴の樹』(1978/エルマンノ・オルミ)『旅芸人の記録』(1975/テオ・アンゲロプロス)等が成功し、劇場としてようやく安定し、ミニシアター文化も拡がってきた頃で、スタッフは多忙を極めていた。わたしは渡航するために新婚旅行という名目で会社から休暇の許可を得たが、高野悦子はその企てを陰で笑っていたことだろう。

ジョージアではシェンゲラヤ監督と息子たちによって、東ジョージアのアラヴェルディ大聖堂、オープン間近の彼の亡き母、大女優ナト・ヴァチナゼのミュージアムや田園でのスプラ(ジョージア式酒宴)、ポリフォニー(多声合唱)等に連れていかれた。今、振り返れば、寝る間もないほどの過密なスケジュールだったが、ジョージア文化の精髄をわたしに教えるために周到なプランが練られていたと思う。帰国後、この国の民族文化に魅せられたわたしは、1986年に識者とともに「日本グルジア友の会」を立ち上げ、それから早くも36年が経つ。

(左)G・シェンゲラヤ監督と(1981年・トビリシで)
(右)日本グルジア友の会 会報

ジョージア文化と映画

2019年、日本を訪れたジョージアの大統領ズラビシュヴィリ氏は「ジョージアは戦争と芸術の国だったが、今は戦争がなくなり芸術の国になった」と端的に語っていた。確かにこの国の民族文化の背景には太古からの戦争の歳月があるようだ。この国はコーカサス山脈の南に位置し、東西南北の交易の要衝であり、3000年の歴史があるといわれる。例えば首都トビリシはアジアとヨーロッパ双方の影響を受け、ローマ神話の二つの顔をもつ「ヤヌスの顔」に例えられる。異国的なバルコニーのある建築物や石畳の街並みは旅人の眼には新鮮で美しい。

ジョージアは歴史的に周辺の国々、ペルシャ、モンゴル、トルコ、ロシア等から繰り返し侵略され、支配されてきた。しかし、人々は宗教(ジョージア正教)、言語(ジョージア語)、ワイン造り等、この国独自の文化を守り育み、またそれらを心の礎にして敵国と戦を交え、度重なる滅亡の危機から国を再生させてきた。

イオセリアーニ監督が、ジョージア人は一つの考えをもった集団になれないと語っていたが、この国の人々は個性を重んじる。その一方で、伝統的なスプラでは、タマダ(宴会の長)のもと、人々は魔法にかけられたように心を一つにする。スプラはただの宴会ではない。亡くなった人、祖先も共にいるという考えがあり、この世ならぬ時空が生まれる、わたしは宗教儀礼のように非日常の場と考えている。また、人が集まれば歌が生まれ、異なる歌声が束ねられて力強く美しいポリフォニー(多声合唱)となる。そして生活の根本には8000年の伝統があるワイン造りがある。葡萄の収穫とワイン造りは信仰と密接に繋がっている。また言語も文字も周辺の国々とは大きく異なり、その起源は未だに解明されていない。

ピロスマニが描いたスプラ(宴会)の絵

映画館で働く者として、ピロスマニの絵から教えられたこともある。ピロスマニは黒いキャンバスに絵を描いた。描かれたモチーフは黒を背景に内から光を発するような効果を生む。これは映画館の暗闇でスクリーンに光を投影する映画の効果に似ている。白昼と暗闇では映像のもつ力に大きな差がある。映画館は非日常の世界を生む現代のアジールだった。

新たに制作した「ピロスマニ」ポスター

これらの独特な文化の背景には、大統領が語るように戦争の歳月があり、そこから生まれたジョージア人の人生観があると思われる。この国にはツティソペリ(一瞬のうちに過ぎるこの世の意味)という言葉がある。戦いはいつ起こるともかぎらず、戦いでいつ生命を落とすかわからない。苛酷な時代や運命に対して調和や平和を求め、はかないこの世に対して永遠の歓びを求めるジョージア人の夢が、この国の文化や風習に結実しているのではないか。ピロスマニが生前に語ったという、みなで芸術を語りあう「大きな木の家」の夢も根は同じである。

これらの個性的な民族文化は互いに緊密に関係しあい、今でもジョージアの人々の生活に不可欠のものだ。そしてジョージアの文化や風習は映画に最も集約されて表されていて、ジョージア映画の独特な個性を形作っている。言葉を変えるならば、ジョージア映画にはジョージア人の夢が込められているのだ。

ジョージア映画の魅力

ジョージア映画は人間描写だけではなく、独創性においても、欧米の映画とは一線を画する独特な味わいがある。巨匠フェリーニ監督は「ジョージア映画は奇妙な現象だ。特別であり、哲学的に軽妙で、洗練されていて、同時に子供のように純粋で無垢である」と語っていた。

ジョージアは、歴史的に大国に支配されても、その国の周縁に位置していたために、直接的な影響を免れて、独自の視座を維持することができた。自国の言語、宗教、文化を守ることができたことは大きい。またソ連邦時代にジョージア映画が個性的な世界を築くことができたのは、政治的、社会的抑圧のなか、人々の民族自決への強い願いが、その内容に影響を与えたことや、東西の冷戦下で、西側の商業主義から隔てられていたことなども理由にあげられるだろう。もとよりジョージアは19世紀から演劇が盛んであり、人々にはみな天性の表現者としての素質がある。地域性、民族としての素養、映画への愛、自由への渇望、ジョージア人であることの誇りが、自ずとフェリーニ監督の語る「奇妙な現象」を生み、発展させることができたのだ。

ジョージアで初めて映画が上映されたのは、パリでリュミエール兄弟が世界で初めて映画を上映した翌年、ロシア帝政下に置かれていた1896年である。ジョージアは1918年に独立するが、1921年2月、スターリンらが主導するボルシェヴィキ(赤軍)の侵攻によってソ連邦に編入されてゆく。その後のジョージア映画の70年間は、政治体制との闘いの日々でもあった。ソ連邦の体制下では、厳しい検閲によって、政府の意図にそぐわない映画は上映禁止になり、破棄された。関係者は粛清されて社会から排除された。しかしジョージアの映画人は、厳しい抑圧にも屈することなく、さまざまな表現方法を用いて果敢に映画を作り続けてきた。彼らは時代や運命に抗いながら、自身の道を切り開いてきたのだ。「ジョージア映画祭2022」の34本の上映作品中、およそ半数が上映禁止の憂き目にあっている。

かつて映画界の重鎮エルダル・シェンゲラヤ監督は「ジョージア映画はジョージアの人々のためのもの」と語っていた。ジョージア映画はこの国のポリフォニーのように多彩な豊かさを内包し、古代から伝わるワインのように芳醇である。そして伝統的な酒宴のように民族の魂を謳い、高揚させて、苦難のなかで人々の心を支えてきたのだ。

「青い山」(1983/エルダル・シェンゲラヤ)

ジョージア映画祭2022

「ジョージア映画祭2022」では、「シェンゲラヤ家の栄光」「よみがえった歴史的名作」など、9つのプログラムに分けて、ソ連邦の激動する時代と人間を映した貴重な作品を揃えた。

1920年代のロシアアヴァンギャルドの影響を受けた芸術的意欲に富む作品。30年代の社会主義リアリズムが提唱され、スターリンによる粛清という暗黒の時代に作られた喜劇。40年代の世界大戦後の窮乏のなかで作られたミュージカル大作。50年代の雪どけの時代を予感させる新しい表現の作品。60年代の厳しい検閲にもかかわらず誕生した傑作の数々。70、80年代のソ連邦の解体を予感させる作品など。すでにご存じの「ピロスマニ」は最新のデジタルリマスター版を使用し、これまでで最良の版である。ほかにも「落葉」や「祈り 三部作」もあり、サイレントの傑作から、コメディー、社会派まで多彩な作品を日本語字幕入りで上映する。

「私のお祖母さん」(1929/コンスタンティネ・ミカぺリゼ)

「落葉」(1966/オタール・イオセリアーニ)

70ページのパンフレットも用意している。ジョージア映画略史、34作品の解説資料のほか、2作品の映画原作の翻訳も所収する。また東ジョージアのパンキシ渓谷に住むキスト人の生活を追った日本のドキュメンタリー『祈りの谷』(2021/竹岡寛俊監督)もプレミア特別上映する。

「ジョージア映画祭2022」パンフレット

これらの作品をとおして、映画の醍醐味を満喫していただきたい。そして20世紀の映画史を振り返るとともに、激動の時代を生きたジョージア映画人の愛や夢、情熱や勇気に思いを馳せていただきたい。ジョージア・フィルムのスローガンは「過去なくして未来はない」だった。

この映画祭の準備を進めながら、わたしはサイレント映画の豊かさを改めて実感した。俳優の個性、演技の素晴らしさに加え、動画で表現する喜びと興奮が伝わってくる。トーキー以降、映画は変化を続けているが、それがけっして「進化」ではないと思うようになった。

未知の作品にも注目していただきたい。『ハバルダ』(1931/ミヘイル・チアウレリ監督)は完成直後にお蔵入りになったと考えられ、スターリン時代の暗黒へと移行する時代の潮目を真正面から映し出している。監督が後にスターリンに寵愛されるチアウレリであることも興味深い。また戦後、スターリンの指示で作られたミュージカル『ケトとコテ』(1948)は今や国民的映画だが、当時は僅か2週間上映されて公開禁止になった。今回はこの作品に関する2本のドキュメンタリーも上映する。歴史の闇に光があてられ、製作の背景の知られざるドラマが語られる。

『ハバルダ』(1931/ミヘイル・チアウレリ監督)

『ケトとコテ』(1948)

シェンゲラヤ家、チアウレリ家、ゴゴベリゼ家という映画における名門のことも記憶に留めていただきたい。戦後のジョージア映画の重鎮ラナ・ゴゴベリゼ監督は現在93歳。映画祭の終了直後から27年ぶりの新作『金の糸』(2019)が公開される。老いた女性作家をとおして人生と過去(ソ連時代)を捉えた知的で素晴らしい作品である。映画祭では、ラナの母、ジョージア最初の女性監督ヌツァ・ゴゴベリゼの幻の作品といわれた『ブバ』(1930)と『ウジュムリ』(1934)を紹介する。彼女は大粛清の年、1937年に流刑され、2作品は破棄されたと考えられていたが、数年前に発見されて復元された。

『ブバ』

ヌツァ・ゴゴぺリゼ

1991年4月、ジョージアは「再独立」し、12月にソ連邦は解体するが、ジョージアでは政府と反政府に分かれて内戦が勃発、同時に国内のアブハジア、南オセチアでも分離独立の紛争が激化し、多くの難民が生まれた。国全体が大きな打撃を受け、長期間にわたって映画製作も停滞した。またその間に、ジョージアにあったポジプリントの多くが、保管状況の悪化や2004年に起きたビル火災のために損傷した。ソ連時代にジョージアで製作された映画は、ジョージア・フィルムによれば、劇映画は1000本近く、ドキュメンタリーは2600本、アニメーションは350本といわれている。しかし現在、その多くはロシアのアーカイブの管理下におかれてジョージアにはない。その全容の調査そして返還が望まれるが、2008年に戦争が起こるなど、両国の関係が良好ではないことや、多額の費用が障害になっている。

21世紀に入り、ジョージアでは映画の関係機関が整備され、旧作品のデジタル修復など、厳しい財政のなかで少しずつだが再生に向けてさまざまな試みが行われている。この度の映画祭で上映するソ連時代の作品は、今日、デジタル上映が可能な映画のほぼすべてになる。

「ピロスマニ」(1969/ゲオルギ・シェンゲラヤ)

この僅か数年の間に、コロナ禍の影響もあったが、戦後から今日までジョージア映画を支えてきた映画関係者の訃報が相次いだ。ギオルギ・シェンゲラヤ監督、アレクサンドレ・レフヴィアシュヴィリ監督、ミヘイル・コバヒゼ監督、レゾ・エサゼ監督、ギオルギ・ダネリア監督、マルレン・フツィエフ監督、ザザ・ハルヴァシ監督、ザザ・ウルシャゼ監督、脚本家のレヴァズ・ガブリアゼ氏、俳優のカヒ・カフサゼ氏、作曲家のギヤ・カンチェリ氏、「ルスタヴィ」のアンゾル・エルコマイシュヴィリ氏。なんとたくさんの方々が逝ってしまったことか。ジョージア映画にとっては、かけがえのない人たちばかりである。特にG・シェンゲラヤ、ハルヴァシ、エルコマイシュヴィリの三氏は、ジョージアとの関りにおいてわたしにはかけがえのない方たちだった。もう彼らにお会いできないかと思うと辛くて残念でならない。わたしたち映画祭スタッフは「ジョージア映画祭2022」を、今は亡きジョージアの映画人、関係者に感謝をこめて捧げたいと思う。

ジョージア映画祭2022

2022年1月29日(土)~2月25日(金)、東京/岩波ホールにて開催

以降、全国巡回予定

-岩波ホールでの上映についてはこちら

-全国の巡回情報についてはこちら

【Aプログラム】シェンゲラヤ家の栄光

『エリソ』(ニコロズ・シェンゲラヤ監督/1928)
『アラヴェルディの祭』(ギオルギ・シェンゲラヤ監督/1962)
『白いキャラバン』(シェンゲラヤ+メリアヴァ共同監督/1963)
『青い山―本当らしくない本当の話』(エルダル・シェンゲラヤ監督/1983)

【Bプログラム】画家ニコ・ピロスマニ特集

『ピロスマニのアラベスク』(セルゲイ・パラジャーノフ監督/1985)
『ピロスマニ』(ギオルギ・シェンゲラヤ監督/1969)
『ピロスマニ・ドキュメンタリー』(ギオルギ・シェンゲラヤ監督/1990)

【Cプログラム】よみがえった歴史的名作

『ハバルダ』(ミヘイル・チアウレリ監督/1931)
『失楽園』(ダヴィト・ロンデリ監督/1937)
『マグダナのロバ』(チヘイゼ+アブラゼ共同監督/1955)
『ナイロンのクリスマスツリー』(レゾ・エサゼ監督/1985)

【Dプログラム】ミヘイル・コバヒゼ監督特集

『結婚式』(ミヘイル・コバヒゼ監督/1964)
『傘』(ミヘイル・コバヒゼ監督/1967)
『音楽家たち』(ミヘイル・コバヒゼ監督/1969)
『井戸』(エルダル・シェンゲラヤ監督/2020)

【Eプログラム】テンギズ・アブラゼ監督『祈り 三部作』

『祈り』(テンギズ・アブラゼ監督/1967)
『希望の樹』(テンギズ・アブラゼ監督/1976)
『懺悔』(テンギズ・アブラゼ監督/1984)

【Fプログラム】第1回ジョージア映画祭アンコール

『私のお祖母さん』(コンスタンティネ・ミカベリゼ監督/1929)
『スヴァネティの塩』(ミヘイル・カラトジシュヴィリ監督/1930)
『大いなる緑の谷』(メラブ・ココチャシュヴィリ監督/1967)
『少女デドゥナ』(ダヴィト・ジャネリゼ監督/1985)

【Gプログラム】オタール・イオセリアーニ監督特集

『落葉』(オタル・イオセリアーニ監督/1966)
『歌うつぐみがおりました』(オタール・イオセリアーニ監督/1970)
『四月』(オタール・イオセリアーニ監督/1962)
『鋳鉄』(オタール・イオセリアーニ監督/1964)
『ジョージアの古い歌』(オタール・イオセリアーニ監督/1968)

【Hプログラム】国民的映画『ケトとコテ』を極める

『ケトとコテ』(タブリアシュヴィリ+ゲデヴァニシュヴィリ共同監督/1948)
『喜びの家』(メラブ・ココチャシュヴィリ監督/2008)
『「ケトとコテ」を求めて』(ダヴィト・グジャビゼ監督/2009)

【Iプログラム】ゴゴベリゼ家・女性監督の系譜

『ブバ』(ヌツァ・ゴゴベリゼ監督/1930)
『ウジュムリ』(ヌツァ・ゴゴベリゼ監督/1934)
『インタビュアー』(ラナ・ゴゴベリゼ監督/1977)
『幸福』(サロメ・アレクシ監督/2009)


はらだたけひで[原田健秀]

ジョージア映画祭主宰・画家。1954年東京生まれ。2019年2月まで44年間、岩波ホールに勤務する。1978年公開の『ピロスマニ』以降、同ホールでのジョージア映画公開に努め、2018年には創立50周年記念としてジョージア映画祭を企画する。絵本に『パシュラル先生』のシリーズ、『フランチェスコ』(ユニセフ=エズラ・ジャック・キーツ国際絵本画家最優秀賞)、『しろいおひげの人』など多数。著作に『グルジア映画への旅』、『放浪の画家ニコ・ピロスマニ』、『放浪の聖画家ピロスマニ』などがある。

ピロスマニの絵の前で