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韓国映画の躍進を支えたレジェンドにして88歳の新人監督キム・ドンホ

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2026年2月25日

石坂健治(東京国際映画祭シニア・プログラマー/日本映画大学教授)

 コミュニティシネマフェスティバル vol.1「日韓映画館の旅」で上映される『Mr.キム、映画館へ行く』を観る人は、88歳で長編デビューを飾った新人監督のキム・ドンホ(金東虎)さんが、いまなおコロナ禍のダメージが残るアジア各地やフランスの小さな映画館を巡る旅に同伴することになる。そして行く先々でその地を代表する映画人がこぞってドンホさんを笑顔で出迎え、映画と映画館の未来像を語る、その顔ぶれの豪華さにまず驚かされるだろう。監督を中心に大雑把に列挙してみても、日本の是枝裕和、行定勲、岩井俊二、深田晃司、台湾のツァイ・ミンリャン(蔡明亮)、香港のジョニー・トー(杜琪峯)、中国の俳優タン・ウェイ(湯唯)、マレーシアのタン・チュイムイ、ホー・ユーハン、シンガポールのエリック・クー、インドネシアのガリン・ヌグロホ、俳優クリスティン・ハキム、フィリピンのブリランテ・メンドーサ、イランのモフセン・マフマルバフ、そして地元韓国のイム・グォンテク、パク・チャヌク、イ・チャンドン、ポン・ジュノ、俳優ムン・ソリ・・・。まさにワールドクラスの面々である。インタビュー撮影の場にやって来た是枝監督が笑いながら「ドンホさんに頼まれたら(どんなに忙しくても)断れないよなあ」とつぶやく場面がすべてを物語っているのだが、これだけのメンツが万難を排して協力を買って出る新鋭監督キム・ドンホとはいったいどんな人物なのか。

官僚から映画人へ―韓国映画とアジア映画の振興

 ドンホさんは最初から映画界の人だったわけではない。1937年に江原道(カンウォンド)に生まれ、ソウル大学法学部から漢陽(ハニャン)大学大学院を経て文化部(現・文化体育観光部)に入り、1990年代には次官にまで上り詰めるのだから、チョーの付くエリート官僚である。88年に文化部傘下の映画振興公社(現・映画振興委員会、通称KOFIC)のトップに着任したあたりから「映画の人」になっていく。この時期には長らく韓国映画の表現の自由を縛っていた映画法を廃してレイティング(等級分け)のみにシフトしていく流れを作っている。

 筆者が最初にドンホさんに出会ったのはこの文化官僚の時期で、1990年8月にデリーで開催されたNETPAC(アジア映画振興ネットワーク)の創立セレモニーの席だった。NETPACはいまでは世界の主だった映画祭に審査員を送って優秀なアジア映画にNETPAC賞を授与する団体として定着しているが、創立者の映画評論家アルーナ・ヴァースデーウは88年にデリーでアジア映画専門雑誌「CINEMAYA」を創刊した編集長。この雑誌には日本から佐藤忠男さんや筆者も寄稿していた(佐藤さんは運営資金の援助もしていた)。アルーナさんは雑誌でのネットワークに限界を感じ、それを超えた強固な繋がりをめざし、ユネスコの援助を得てNETPACを創立して代表に着任。副代表には彼女を強く支持するドンホさんが選ばれ、やがてNETPACの事務局自体を釜山に誘致することになっていく。初期のNETPACは印韓の2トップに牽引されて発展していくことになった。ちなみにデリーでの筆者はといえば、創立メンバー中の最年少30歳で、参加者の皆から「ボーイ」とあだ名を付けられたが、記憶力の良いドンホさんは35年が経過した今も「石坂少年」と呼ぶので勘弁してほしい。

2025年11月「日韓映画館の旅」福岡市総合図書館でのトークイベント

世界的映画祭の誕生

 映画法撤廃やNETPACの旗振り役というそこまでの仕事も文化官僚として特筆すべき業績だが、1996年に釜山国際映画祭(BIFF)が創始されるやドンホさんは初代の執行委員長に就任し、2010年まで15年間にわたって采配を振るうことになる。上記の面々をはじめ多くの映画人はこの時期の釜山でドンホさんチームの類い稀なる手厚い歓待を受けたのだった。ドンホさんに接するや、本作に見られるとおりの静かな佇まいと柔らかい物腰、スローテンポながらも正鵠を得た英会話にまず魅了され、さらには酩酊しても徹底的に話し込んで飲み明かすカジュアルな姿に敬服したものだった(いまは断酒した、と本作では語っている)。筆者も例外ではなく、この時期の釜山で飲み会のハシゴをすると、どこへ行ってももれなくドンホさんがいて、この人のからだはいったいいくつあるのか、と不思議に思ったものだ(割り勘の風習がない韓国ゆえに、支払いの面でもどれくらいお世話になったことか!)。むろん上映の場でしっかりと映画と映画人を世界に向けて紹介してくれて、その上でのお付き合いである。こうして皆がドンホさんのファンになり、新興の映画祭はみるみる世界的な注目を集める祭典に成長し、ひいては20世紀末に巻き起こった「韓国映画ルネッサンス」に連動するタイミングで、ドンホさん率いるBIFFは韓国のみならずアジア映画を世界へ導く一大ハブ映画祭になっていったのである。

2025年11月「日韓映画館の旅」で大阪シネ・ヌーヴォへ訪れたキム・ドンホ氏

そして“アーティストの時代”へ

 ドンホさん曰く、自分の人生はいま3期まで来ているそうで、1期=官僚の時代、2期=映画祭の時代で、3期=アーティストの時代に突入しているとのこと。映画監督としては、BIFF執行委員長を退いて間もない2012年に短編『JURY』を発表している。舞台は映画祭の審査会議の場。先日亡くなった俳優アン・ソンギ(安聖基)、アジア映画に詳しい映画評論家トニー・レインズ、イメージフォーラム代表の富山加津江といった個性豊かな5人の審査員が、それぞれの美学に基づく審査コメントをぶつけ合うディスカッション・ドラマである。ドンホさん自らの豊富な審査員体験がベースに見え隠れする。

 物書きとしては、『世界のレッドカーペット~「釜山国際映画祭の父」が見た40の映画祭~』(ヨシモトブックス)を、やはり執行委員長退任直後の2011年に刊行している。これは世界各地の映画祭を巡った記録集だが、どこへ行っても自らの映画祭ディレクター体験に引き寄せながら比較している点が面白い。日本の映画祭も3つ(東京国際映画祭、東京フィルメックス、山形国際ドキュメンタリー映画祭)出てくるが、後2者の評価が高く、当時のTIFFには辛い点が付いている。刊行から15年経った今ならどんな評価になるのか、中の人間としては気になるところである。

 こうして見てくると、『Mr.キム、映画館へ行く』は満を持しての長編デビュー作と言って差し支えないだろう。ここにはコロナのダメージと配信サービスの攻勢を乗り越えて、映画と映画館はいかに存続していけるかの問いがあり、その問いに向き合って真摯に答える映画人たちの声がある。ドンホさんはそれらの声を集約し、栄養素として補給し、次なる創作活動に向かうのではないか。そんな気がしている。

 韓国映画の躍進を支えたレジェンドにして88歳の新人監督――キム・ドンホさんの登場が待ち遠しい。


コミュニティシネマフェスティバルvol.1  日韓映画館の旅

会場・日程

ユーロスペース|2026年2月28日[土]~3月6日[金] http://www.eurospace.co.jp/
Stranger|2026年2月27日[金]~3月12日[木] https://stranger.jp/

上映作品 

[日本初公開の韓国インディペンデント映画]

成績表のキム・ミンヨン 2022年/監督:イ・ジェウン、イム・ジソン
ロンリー・アイランド 2023年/監督:キム・ミヨン
長孫─家族の季節 2024年/監督:オ・ジョンミン
ウォンジュ・アカデミー劇場の記録 2023年/監督:キム・グィミンほか
Mr.キム、映画館へ行く 2025年/監督:キム・ドンホ

[日本のインディペンデント映画]

● ユーロスペース × 三宅唱
Playback 2012年/113分/35ミリ
夜明けのすべて 2024年/119分

● Stranger × 空音央
HAPPYEND 2024年/113分
鶏・The Chicken 2020年/14分
アメガラス 2022年/20分

 ※各作品の詳細はチラシをご覧ください。

来日ゲスト

キム・ドンホ(『Mr.キム、映画館へ行く』監督)
オ・ジョンミン(『長孫―家族の季節』監督)
パク・シヨン(デザイナー/『成績表のキム・ミンヨン』ポスターデザイン)
ジュヒ(アートナイン/『旅と日々』韓国配給)

《韓国のアートシネマ(ミニシアター)より》
チェ・ナギョン(ソウル・「アートハウス・モモ」)/キム・サンミン(ソウル・「エム・シネマ」)/
イ・ハンジェ(ソウル・「ライカシネマ」)/チェ・ヒョンジュン(仁川・「ミリム劇場」)/
ジャン・ヒョンサン(坡州・「ヘイリシネマ」)/ハ・ヒョンソン(昌原・「シネアートリゾーム」) ほか

※詳細はチラシをご参照ください。

◇ウェブサイト http://jc3.jp/ccfes
◇チラシ http://jc3.jp/ccfes/assets/pdf/CCF_vol01_TOKYO.pdf
◇公式X(旧Twitter)  https://x.com/commucine_fes

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