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プレゼンテーション+ディスカッション 「“映画祭”の時代」:④〈映画の力〉プロジェクト

REPORTS
2023年3月29日

3.11震災後、盛岡出身の大友啓史監督の呼びかけをきっかけに発足した「〈映画の力〉プロジェクト」。岩手・盛岡にゆかりがある作品の上映や映画撮影のサポートなど、「映画」を通じてみんなが楽しく集まることができる企画に取り組んでいます。2020年からは、盛岡市内を流れる3つの川のそばなどでの野外上映「盛岡かわとみどりのほしぞら映画祭」を開催しています。
〈映画の力〉プロジェクトの副代表であり、盛岡のわんこそばの老舗「東家」の専務取締役でもある高橋大さんに、発足の経緯や活動内容についてお話いただきました。

わんこそば屋がなぜ映画祭や映画の力について語ろうとしているのか

全国コミュニティシネマ会議2022イン盛岡(2022年11月18日/岩手県公会堂)
プレゼンテーション+ディスカッション「”映画祭”の時代」より

高橋大(〈映画の力〉プロジェクト副代表/株式会社東家専務取締役)

老舗そば料理店「東家」

私は「東家」というそば料理店で専務をしております。11年前までは映画祭についてお話するようになるなんて思いもよりませんでした。そんな私がなぜここにいるのか。「なぜわんこそば屋が映画祭や映画の力について語ろうとしているのか」というお話をさせていただきます。

「東家」は、明治40年創業で、現在、盛岡市内数店舗で展開させていただいています。お客様の約半数は「わんこそば」で、県外からのお客様が多くいらっしゃいます。いとこである現在の代表の馬場暁彦はいろんな楽しいイベント企画を考えだしますが、その父である先代の馬場勝彦も、すごいエネルギーをもった快活なアイデアマンでした。福祉に力を入れて、市議・県議をやり、地域を盛り上げることに一生懸命で、たくさんの仲間がいました。その先代が突然の病で2003年に倒れ、1年の闘病の後に亡くなります。

私は当時東京の交通系の建設コンサルタント会社に勤めていました。シネコンを備える大きなモールの開発に関わる申請業務などもしていましたので、いま思えば、小さな商店街やまちの映画館を無くすことに関わるような仕事もしていたのだと思います。東京駅界隈の再開発が始まったころでもあり、ずっとこの仕事を続けていくと思っていました。

そんな時、親戚の急病により経営するそば店が緊急事態となり、手伝わないかという誘いを受けました。飲食店は未経験であり、新社長の元で軌道に乗るまでの4-5年くらいで東京に戻るくらいの気持ちで、盛岡に帰ってきました。

その後、家業であるそば屋の仕事に集中する中で先代の地域での活動を知ることとなり、私もその店舗がある地域の盛り上げに参加し始めます。地域で活動することは、先代とその仲間たちのおかげで、協力的な地合がありました。(東家本店は現在改装中ですが、来週11月24日に新装開店する予定です。)

新装開店した東家本店

しかし、このときは「もりおか映画祭」(2004年当時は「みちのく国際ミステリー映画祭」)にまで関わろうとは露ほども思わず、映画については、映画マニアやシネフィルでもなく ごく普通の映画好きのレベルでした。

東日本大震災~〈映画の力〉プロジェクト始動

仕事にも慣れてきた2011年、大きな震災が東北を襲いました。盛岡市内は大きな被害はなく、古い私たちの店舗もなんとか持ちこたえました。しかしながら、観光客はもちろん、盛岡市内も自粛ムードの中、お客様も激減していました。「沿岸でおにぎりを分けて食べてるときにエンターテインメント的なわんこそばなんて仕事をやっていいんだろうか」と真剣に悩み、被災地への炊き出しや沿岸へお弁当を届ける仕事を受けて走り回っていました。社員みんなで「わんこそばなんてもうできないんじゃないか」という話をしたこともありました。

そんな2011年の5月、きょうの司会でもある工藤昌代さんが中学の同級生である大友啓史監督を、高校の同級生である私のところへ連れてひょっこりと現れました。監督はNHKを辞めて映画監督として独立するんだと話し、そして「大ちゃん、もりおか映画祭をさ、もっと面白くしようよ!」と話し出しました。「世界の映画祭の中には食と絡む楽しい映画祭がたくさんあるので、そういう意味では盛岡でももっと楽しくできるはずだ。僕にもそこを担う何かができるはずだ」と。ちょうど震災後で時間もあったということもあり、映画についてはもちろん映画祭のなんたるかもわからない私でしたが、自粛ムードの中、岩手から明るいニュースを発信したいと思っていたのと「大友くんは岩手のために映画監督になるのでは‥」と思い込んでしまったこともあり、このときをきっかけに工藤昌代さんを代表に「大友啓史<映画の力>プロジェクト」を開始します。このときは映画祭を簡単に考えていました。

全国コミュニティシネマ会議2022イン盛岡にもかけつけてくれた大友啓史監督

「もりおか映画祭」とジモト想像会議

2011年10月に『もりおか映画祭2011』の協賛企画としてトークイベント「ジモト想像会議」を実施します。私たちをそそのかした大友監督は映画製作のスケジュールが立て込み、その年の映画祭には参加できなくなり、また、安易に参加できると考えていたもりおか映画祭には全くコミットできていませんでした。

団体名にしてしまった「映画の力」という言葉の重さにも悩んでいた私たちでしたが、「ジモト想像会議」は、改めて「いま地元で頑張る意味」「映画や映像が果たす役割」について率直に議論する会をやろうと企画したものです。震災後半年の間に生まれた様々な繋がりの中で出会った岩手・宮城・福島の沿岸の元気な20代の若者3人に声をかけたらふたつ返事でOKをもらえました。当日はエネルギーにあふれる若きパネリストたちに触発され、イベント後の懇親会は大いに盛り上がりました。このときに集まった仲間が現在のプロジェクトのコアメンバーです。この中で人とつながる意味、楽しさを感じました。

盛岡市内にある映画館通り

さらに、この年のもりおか映画祭の中のトーク企画で私たちは櫛桁一則さんを初めて知りました。トーク企画は、映画俳優、映画監督と映画館支配人である櫛桁さんのパネルディスカッションでした。その中で俳優も監督も震災後の自粛ムードの中でエンターテインメントの活動を行うことへの迷いを正直に吐露していました。わんこそばの提供で悩んでいたこともあった私はその気持はよくわかりました。その中で唯一、沿岸の宮古市の小さな映画館の支配人の櫛桁さんだけが「みんなで映画を見ることの意味」「映画には力があること」を力強く語っていることに感動しました。櫛桁さんの話は、実際に避難所や仮設住宅で上映会を行った経験に基づく具体的な話で、聞いていて「これが映画の力なんだな」と感じることができました。

「映画の力プロジェクト」と言いながら、その名前に「ちょっと大きな話だな」と思って悩んでいたのですが、櫛桁さんの話を聞くと「ああ、映画の力っていうのは本当にあるんだ」と実感できました。櫛桁さんに会ったこととジモト想像会議での議論を通して「映画の力プロジェクト」の方向性が見えてきた気がします。

ジモト想像会議2の様子

櫛桁一則さん

以後、大友監督の作品を応援すること、多くの人を巻き込みながらみんなで映画を見ること、悪ノリともいえるくらい積極的に映画を楽しむこと、櫛桁さんと協働し、みやこシネマリーンの応援や盛岡の映画館通りの映画館を応援することを始めました。みんなで見ること、映画自体に力がある、だから地域と映画をつなげて盛り上げていこうと考えました。

大友啓史監督『るろうに剣心』を応援!

2012年7月、大友監督の『るろうに剣心』(2012年8月公開)を応援すべく、監督の地元の岩手から発信しようと、盛岡出身の新渡戸稲造の「武士道」とのコラボレーションとしてトークイベント「武士道なう。」を開催しました。意識の高い方やご年配の方々にもチャンバラ映画を見てもらおうと、達増岩手県知事と、新渡戸基金の事務局長、それに大友監督の鼎談を企画し、この岩手県公会堂大ホールに300人を集めました。ロビーではプロのバーテンダーにオリジナルカクテルを作って提供してもらったり、地元の本屋さんにも出店してもらって、自分たちだけじゃなく地域全体で盛り上がろうと考えて、非常に楽しい時間を作ることができました。『るろうに剣心』は僕らの応援のおかげもあり(?)大ヒットとなりました。

また、その年の「もりおか映画祭2012」の協賛企画として大友監督の発案から「アクションワークショップ」を開催しました。これは大友監督と谷垣健治アクション監督とスタッフを招き、みんなで 殺陣というか、アクションをやってみるというワークショップなのですが、最初は和やかな雰囲気でチャンバラをやっていたのですが、みんなが緊張感無くニコニコして真剣にやらないことに監督たちが憤りを感じ始めたのか、「真面目にやれ!」と怒号が飛びだしたりして‥、でも、そのおかげで、みんな真剣になってだんだんと技も決まりだして、最終的には和やかな雰囲気で終わることができました。途中、本当にヒヤヒヤしたのがいい思い出になっています。

『るろうに剣心』とは別に、きょうも来てくれている「深谷シネマ」にいた方たちと一緒に「黄色いハンカチプロジェクト」をやりました。全国のミニシアターから、みやこシネマリーンに宛ててメッセージを書いた黄色いハンカチを届けてもらうというプロジェクトで、ぼくたちは、届けられた黄色いハンカチを映画祭の会場である映画館に貼るお手伝いをしました。

トークイベント「武士道なう。」

映画館に飾られた黄色いハンカチ

2013年「ジモト想像会議2」

2013年10月にはもりおか映画祭のプレイベントとして「ジモト想像会議2」を開催しました。盛岡に「映画館通り」ができた理由、「映画のまち盛岡」の歴史、2007年まで10年続いた「みちのくミステリー映画祭」再考…。地方で映画祭をやる意義を話し合い、ワークショップを開催しました。そのとき話し合ったみんなの夢のひとつが盛岡の中心部を流れる中津川の川辺で野外上映会、映画祭をやりたいということでした。また、ドキュメンタリー映画『立候補』のプロデューサーを招いて上映会を開催しました。70名が参加して、映画の後にみんなで語りあう楽しさを実感しました。

ジモト想像会議2における議論の様子

2014年『るろうに剣心京都大火篇』世界最速上映

2014年には『るろうに剣心京都大火編』の公開日の深夜0時にどこよりも早く上映しようという「世界最速上映」を企画しました。期待通りのことではなく、予想外のことをやりたいという人たちが多かったので、深夜0時からどの国よりも早く「世界最速」で見られるという企画を立て、主演の佐藤健さんから「深夜にかたじけない」というファックスが来たり‥。

世界最速上映に集まった観客たち

『るろうに剣心』主演の佐藤健さんからのファックス

この後、2017年まで大友監督の5作品を「最速上映」していますが、働き方改革の影響で深夜の上映がむずかしくなり、2021年の『るろうに剣心 最終章 The Final / The Beginning』は、まだ暗い朝5時から朝ごはんの特製おにぎりを食べながらの「朝るろ」になりました。

ぼくらの映画祭

当初の目的だったもりおか映画祭への参加はなかなか実現できず、4年かけてアプローチを続けましたがやはり参加できませんでした。運営会議には出席できても、実績不足のわれわれには発言力がありませんでした。上映活動もしておらず、オーガナイズする力もありませんでした。高崎映画祭もひろしまアニメーションシーズンも、会場として公共ホールと映画館、両方を組み合わせて使われていますが、もりおか映画祭はすべて映画館通りの映画館でやるという特徴があります。盛岡ぐらいの人口規模の町で、こんなに多くの映画館が残っていることは珍しく、それをわれわれも盛り上げていきたい気持ちがありますが、もりおか映画祭は運営会議も映画館主さんたちが中心で、その会議に我々が入っても、キャリアや立場がかなり違うためにかみ合わないというところが大きかったのかなとも思います。もりおか映画祭の前身である「みちのく国際ミステリー映画祭」は1997年から2006年まで10年続いていて、運営にもいろいろな人が関わっていましたが、もりおか映画祭になると運営方法が変わって、盛岡市の予算だけでやるということになっていたことも、われわれが関わることに対するハードルになっていたかなと思います。

 自主上映=映画祭

もりおか映画祭に関わることができないことに対する反動もあって、自分たちで好きなことをやりたいという気持ちが高まり、映画とトークで構成する自主上映を「映画祭」と称して開始することになりました。

2015年に、沿岸部の大槌町吉里吉里の砂浜で地元の若者との協働で「第1回 吉里吉里 海と森の映画祭2015」を開催。自然の中で映画をみんなで見ることは非常に幸せな体験でした。これは2018年の第4回まで実施しました。

「吉里吉里 海と森の映画祭2015」開催の様子

2017年には紫波町の自主上映団体「シワキネマ」と協働で「第1回盛岡ゾンビ映画祭」を開催、2018年「第1回盛岡いけにえ映画祭」「第1回サスペリア映画祭」と続いて、すべて第1回で終わっています(笑)。それぞれにオリジナルのゾンビ弁当、いけにえ弁当、サスペリア弁当を提供するなどして大いに盛り上がりました。2019年には台湾映画「藍色夏恋」、ドキュメンタリー映画「だれも知らない建築のはなし」上映会、「ミツバチのささやき」と「フランケンシュタイン」の同時上映などを実施しました。

第1回いけにえ映画祭

 「かわとみどりのほしぞら映画祭」

2020年は、盛岡市の支援を受けて、盛岡市内の川のそばで映画を見ようという「かわとみどりのほしぞら映画祭」を企画、その後、川辺や、公園、商業施設の屋上、変わったところでは動物公園内などでの自主上映を実施しました。野外の上映活動が定着化し、今年(2022年)の夏は150人を超える観客規模になってきています。2013年の「ジモト想像会議2」でみんなの夢として出た、川のそばで野外上映をしたい、映画祭をしたいという夢の一部が叶いつつあるのかなと思います。野外上映は楽しそうに見えますが、実際は風の強い川辺での上映はスクリーンを立てるのも非常に大変です。けれど、それもいい思い出になっています。

強風の中スクリーンを支えるスタッフたち

ぼくらにとっての「映画祭」「映画の力」というのは、つまるところ、櫛桁さんと会ったときに思った「みんなで一緒に見る」こと、「見た後に語りあう」こと、作り手とか、いろんな方たちと「映画をきっかけにつながる」こと、きょうもいろんな人に会えて楽しくてしょうがないんですが、そういうことなんじゃないかなと思います。これから、映画祭をもしやれるとしたら、それを大事にしていきたいと思いますし、そういうことを「映画の力」として、プロジェクトとして大事にしていきたいと思っています。

いま、ぼくたちがやっている上映は、ぼくたちが愛していた映画館とは違うものなのかもしれないなとはちょっと思っていますが、当初、映画祭に取り組もうと思ったときに感じていたように、とにかく映画を大切にすることを忘れないようにしたい。そういう映画祭がやりたいと思います。

「かわとみどりのほしぞら映画祭」に集う観客


以下、ディスカッションより

土田

上映する映画はどうやって決めているのですか。

高橋

3つくらいパターンがありまして、ひとつは集まった仲間の中で、あれこれ話し合う中で「これがいいね」と決めて行くパターン、それから上映する場所の持ち主とか、そこでの決定権がある人の希望を聞くパターン、「ここで見たい映画って何ですか」と聞くんですね。もうひとつは、「ゾンビ映画祭」とか「いけにえ映画祭」のような、私たちのグループというか、シワキネマさんのような濃い人がぐいぐいと決めていくパターンです。

土田

映画祭もそうですが、地域の中で若い人たちがこういう催しものに関わらなくなって、少なくなっているといわれますが、一方で地方に移住する若い人もいる。全体としてはやはり若い人が集まりにくいのかなと思いますが、盛岡ではどうですか。

高橋

なるべく若い人に声をかけるとか、あと最近は、環境的におじさんばっかりいそうなクローズドな場所ではなく、オープンな境目のない、外からも見える場所で上映会をやることが多くなっていて、私たちが想像しないような楽しみ方をする若い人たちが観客として見に来たりしています。上映会の環境のつくり方によって参加者も変化するのかなと思い始めています。


高橋 大

〈映画の力〉プロジェクト副代表/株式会社東家専務取締役

全国コミュニティシネマ会議イン盛岡(2022年11月18日/岩手県公会堂)
プレゼンテーション+ディスカッションⅠ「“映画祭”の時代」

-出演者

志尾睦子[シネマテークたかさき/高崎映画祭][基調プレゼンテーション]
高橋大[盛岡〈映画の力〉プロジェクト]
クリストフ・ポスティック[リュサス国際ドキュメンタリー映画祭プログラムディレクター]
宮崎しずか[アニメーション作家/ひろしまアニメーションシーズンアーティスティックディレクター]
司会:土田環[早稲田大学理工学部]
通訳:坂本安美[アンスティチュ・フランセ日本]

全国コミュニティシネマ会議2022イン盛岡 プログラム概要

〈映画の力〉プロジェクト

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